戦後~昭和40年代まで

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戦後~昭和40年代まで

戦後~昭和40年代までの食品偽装表示例を見ていきます。

太平洋戦争終結直後の日本は飢餓にあえいでいました。

ほとんどの食料が統制下にあって配給制が継続されており、欠配遅配は当たり前でしたから、都市部ではいきおい闇市とヤミ買い出しにたよるしかなかったのです。

闇市で売られていたものは、おから寿司(豆腐の搾りかすで作った稲荷寿司)、出所不明の怪しい食肉(野良犬、へい獣の肉)、栄養シチュー(進駐軍の出した生ゴミを煮込んだもの)など、現在の衛生基準で見れば目を覆いたくなるようなものでした。

しかしそれを食べなければ生きて行けなかったのですから、仕方がありません。

このような時代における偽装表示などという観念など売り手にあろうはずもなく、「見れば分かるだろう」というデタラメなものだったようです。

食糧事情が好転した昭和30年代以降は、まだ日本の食糧自給率も高く、同時に消費者の食品に対する意識はほとんどお店任せ状態だったようです。同時に、当時の消費者は魚や野菜に対して目利きのする人が多かったため、ニセモノや不良品は自然と売れなかったことも関係あると思われます。

戦後に、食品関係で人々を脅かしたのは、有毒物質混入食品事故でした。
主なものを挙げてみます。

○メチルアルコール中毒事件(1945年~)
○黄変米事件(1952年~)輸入米のカビ毒。日本人の輸入米拒絶意識が未だに強いのは、この事件がトラウマとなっているようです。
○森永ヒ素ミルク事件(1955年) ヒ素混入ミルク
○水俣病事件(1950年代以降) 工場廃液に含まれる有機水銀を含んだ魚
○イタイイタイ病事件(1950年代以降)
○カネミ油症事件(1968年)

昭和30年代後半以降のいわゆる高度経済成長期において、公害による有毒物質混入事件や、チクロ、サッカリンなどの食品添加物の安全問題などがクローズアップされていました。

現在の中国に似た状況であったとも言えます。

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